名前のない駅
電車に乗ったときから、啓は眠くてしょうがなかった。眠るつもりなんかないのに、ふと気づくといつの間にかまぶたがふさいでいる。
きのうちょっと夜更かししたからな、とひざの上からずり落ちそうになった塾のカバンを引っぱり上げる。
今日は四年生になってから行き始めた塾の初めてのテストで、昨夜午前一時まで勉強したのだ。
中学生の兄がテスト前に徹夜をするのがいつもちょっとうらやましかったので、きのうは大さわぎして母親に夜食まで作ってもらった。
本当は徹夜をしたかったのだけれど、夜食を食べておなかがいっぱいになったら、眠くて鉛筆がもてなくなってしまった。
クラブ活動帰りらしい女子高校生がさっきの駅で降りて、車内は急にひっそりしている。
あと二駅ぐらいで降りなくてはいけなかったから、啓はずい分がんばって目を開いていたが、どうやら少しの間うたた寝してしまったらしい。ふと気づくと隣に座っていた男の人がいなくなり、向かいにいた啓と同じ位の年の男の子もいなくなり、車内はがらんとしていた。
どのあたりを走っているのだろうと窓を見ると外は真っ暗だ。まだ日が暮れるはずはない。塾を出たのは三時ごろだった。
体をねじって窓を振り返りしみじみと眺めると、暗いはずだ。地下を走っている。
一 |
この路線は塾に行くにも、買い物に行くにもよく利用するので、そらで駅名を言えるほどだ。
「おかしいな。地下になんか入るはずないのに」
ほんの短い間うとうとしただけのつもりだったのに、実はすっかり寝入っていたのかもしれない。いつの間にか違う路線に乗り入れてしまったのだ。
「こまったな」
啓はそわそわした。
「次の駅で止まったら降りて、引き返さなくちゃ」
そう思って待ち構えていたので、列車が速度を落とし始めた時にはもう立ち上がっていて、ドアが開いたとたんにホームに下りていた。啓のほかには誰も降りたようすがない。
「ここどこだろう? 何て駅かな」
そう言えば車内アナウンスがなかった気がする。
啓のいるホームは片側だけにしか線路がなく、反対車線に行くにはどうしたらいいのか分からなかった。聞こうにも長いホームに誰もいない。
改札口に行ったらきっと駅員がいるだろうと、啓は思ったのでホームの中ほどにあった階段を下っていった。
何だか妙に長い階段だった。下っていきながら、啓はふと不安になった。
二 |
ホームは地下にあったんだから、普通なら登っていくはずだと気づいたのだ。なのにさらに下っていくなんて、いったいこの階段はどこに通じているのだろう。
怖くなって引き返したくなった。でも引き返したって、他にどこに行く所がある?
下りきったそこには、やはり改札口がなかった。そして駅員も、駅員だけでなくたった一人の乗客もいなかった。そこは広い地下街だった。ずらっと店が並んでいるが、今日は休業日なのかどの店もシャッターが下りている。
シャッターに大きな字で店の名前が書いてある。アルファベットで。
「KOTORIYA ことりや? ペットショップかな」
その隣はそうじや? そうぎやか? その向かいはカラオケ、いやカンオケだ。そしてここは喫茶店? アクムと書いてある。
啓は頭がくらくらする。きっと寝不足のせいだと思う。
「もう夜中にテスト勉強なんか絶対にしないぞ」
と啓は思った。それ以上先の店の名前なんか見たくもない。
「引き返そう」
見たくないのに見てしまう。一番はしの店の名前。コトリヤ、下に漢字で子取り屋とある。
どの店も休業中でよかった。
啓は階段を走って上がった。降りてきた時以上に長い階段であるような気がした。
三 |
階段の途中で地響きが聞こえた。電車が入ってくる。
「急がなくちゃ。置いてかれる」
今まで一度もこれほど必死で走ったことがなかった。二段飛ばしで階段を駆け上がり、ホームを走った。電車が止まっている。ドアが開いている。啓は駆け込み、車内に倒れこんだ。
ドアが閉まった。やれやれ、電車は発車する。
四 |
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