小グモのつぶやき
坂を上ったところに、くずれおちそうな古い工場がありました。もう、何年も前から人間が入ってくることはありません。
そこでは夜な夜な、クモやムカデやヘビやそのほかいろんな虫がパーティーを開くようになっていました。クモは糸をギターのようにはじき、ムカデはタップを踏み、ヘビはブレイクダンスをおどりました。それにもうひとり、工場の向かいにあるお墓から、ゆうれいもときどきヒューヒューと合いの手を入れに遊びにきました。
ある夏の夕暮れ、平和だった工場に蚊がニュースを運んできました。
「たいへん。たいへん。みんな集まって。人間がこの工場をつぶして新しい建物をたてるんですって」
「じゃ、ぼくたちはどうなるの?」
子グモがききました。
「にげなきゃ、おしつぶされるだけさ」
ヘビがためいきまじりでいいました。
「えっ、そんなぁ……」
「オレは、にげるぜ」
ヘビはするすると出ていってしまいました。
「私たちも出て行きます」
ムカデたちも急いでシャカシャカ出ていってしまいました。
一 |
「私も、しばらくはお墓にかえります」
ゆうれいはふっと消えてしまいました。
子グモは、蚊を見ました。
「私も……」
プーンととんでいってしましました。
子グモはとなりのおじいさんグモを見上げました。
「おじいちゃん、みんな行っちゃったね。でも、ぼくたちは人間と戦うよね」
「いいや、わしも行くよ。おまえはどうする気だね?」
子グモは行かないと頭をふりました。
「そうかい。それもいいかもしれん。しかし、早まったことだけはするな。いいな」
といって、おじいさんも行ってしまいました。
子グモはひとりになりました。そして、心の中でつぶやきました。
「みんな行っちゃった。でも、ぼくはいやだ。だって、ここはぼくの家なんだもん。ぼくは人間と戦う」
次の日、工場のまわりは、トラックやショベルカーでいっぱいになりました。
ショベルカーがガーガー音をたてて、工場をはしからガリガリ食べていきます。
二 |
草のかげからこっそりのぞいていた子グモは、ショベルカーを見上げて、からだのふるえをとめることができませんでした。今にも自分の上に、かにのつめのようなショベルカーのはさみがふりおろされるような気がして、こわくてしかたがありませんでした。
その夜、ねむったように動かないショベルカーに子グモは勇気を出してよじ登りました。
「だれもいない。よし、今のうちに二度と動かないようにクモの糸でしばってやる」
子グモは一晩かかって、ハンドルやシフトレバーにねんいりにクモの巣をかけました。
子グモは、これで人間が工事をやめるだろうと、わくわくしながら朝をまちました。
しかし、朝一番にきた来た人間は、クモの巣にも気づかないぐらい、何もなかったようにショベルカーを動かしてしまいました。
「ああ、ぼくのクモの巣が、クモの巣が……。ちくしょう、ちくしょう……」
子グモのかけたクモの巣が引きちぎられ、ショベルカーの運転席からひらひら風にたなびき、朝日にきらきら光っていました。
とうとう工場はこわされ、そこに小さい図書館がたちました。
子グモはいつのまにか大きくなり大人の小グモになりました。そして、図書館開館の前夜にカサコソとそこにもどってきました。
三 |
小グモはへやのすみずみを見てまわり、本と本の間に住むことにしました。朝はじっとして、夜には自分の気にいったようにクモの巣をかけてこのへやをかざろうと思っています。そして、「いつか、ぼくがもっと大きくなったらもっと大きな巣をかけて人間をくってやるんだ」と、心にちかいました。
そのとき、小グモの横を冷たい風が通りすぎました。見ると、ゆうれいが本棚に歩いていくところでした。
「あっ、ゆうれいさんだ。帰ってきたんですか?」
「そうよ。こんなに本があるなんて、ステキ。あっ、これ読みたかった本だわ」
ゆうれいが本を取りあげると、本は空中をとぶように見えました。
「ここじゃ、ゆっくり読めないわね。そうだ、トイレにもってはいろうっと」
ゆうれいは、うれしそうに本を抱えてトイレに入ってしまいました。
小グモは、たのしくなってきました。ゆうれいさんはかえってきたし、今にムカデさんもヘビさんもかえってくると思います。おじいさんだってきっとかえってくるでしょう。また、楽しい夜がはじまるのです。小グモは、自分がクモだということに、すこしむねをはる思いでした。
朝の本棚の中で、子グモがうとうとしていると背中を本でぐいっとおされました。
「おっとっと、つぶされちゃいけない」
子グモはトトトト……と走って人間の手にのりうつりました。
「ギャー! クモ、クモ」
四 |
人間が大声を出し、手をふって子グモをゆかへ落としました。
「うるせーな。だから人間がきらいなんだよな」
チッと口をならして、子グモはスタスタと本棚の中にかくれにいきました。
五 |
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