今月のお話はきた・とこさんの『青い石の中』です。


     青い石の中

 祖母の絹は出かけていた。親戚の家に行ったのだったか、親戚の者と一緒に出かけたのだったか。当分は帰ってこないと思われた。
 孫の紗江は何気なしに祖母の部屋に入って、座敷に針箱が置かれたままなのを見た。
 祖母の針箱は、小さな引き出しが幾つもついている木箱だった。人形のたんすのようでかわいらしく、紗江は昔からそれを触りたくてたまらなかった。でも祖母は、怖いものがいっぱい入っているんだよと言ってすぐに隠してしまう。
 それがうそなのを、紗江は知っていた。
 小学校五年になって学校で裁縫を習うようになり、紗江は赤い針箱を買ってもらった。
 針や糸、握りバサミ、裁ちバサミ、針山や巻尺までついている。祖母の針箱だって似たようなものが入っているに違いない。
 それにしても祖母の針箱には引き出しが七つもあった。どれに何が入っているのか、紗江は見たい気持ちを押さえられなかった。
 一番上の横に長い引き出し、ここには針と糸が入っていた。その下に深い引き出しが二つ並んでいる。片方には糸の切れ端が、十センチくらいのからもう少し長い物まで丁寧に結んでつながれ厚紙に巻き取られている。着物を解いた時に出た糸や、短くて使えなかった糸の切れ端を祖母はつないで無駄にせず全部使った。巻くのを手伝った事があるので、紗江はその事を良く知っている。
 その隣の引き出しを開けて、紗江は思わず声をあげた。そこには色とりどりのボタンが入っていた。どれも買った物ではなく、着られなくなった服から取り外したものだ。
 丸いものだけでなく三角の、花の形をしたもの、金色に光るものもある。紗江は夢中になって引き出しをかき回した。

                                    一

 一つくらいもらっても、祖母は気づかないだろう。二つ三つ取っても大丈夫かもしれない。好きな物を選びだした。二つ三つではおさまらず、片手に一杯になった。それでも飽き足らず引き出しの奥を探っていると、なにやら薄紙に包まれた物を見つけた。
 手に持ったボタンを下に置いて、薄紙を開いた。その中にあったのは青い石だった。
ボタンではない。糸を通す穴がなかったから。爪の先ほどの大きさなのに、その中にいろんなものが見えた。海の中のあぶく、青空に吹き千切れる雲のようなもの。ずっと見ていると、それらは動いているような気がした。
 石の中をいきなり鳥や魚が横切ったとしても、紗江は驚かなかっただろう。小さなその石の中に、紗江がいるこことはまるで違う世界が封じ込められているようだった。
 夢中になって見入っていると、玄関の方で祖母の声が聞こえた。紗江は畳の上に散らばっているボタンを大慌てでかき集め、引き出しに入れた。祖母の部屋を出て自分の部屋の机の前に座るまで、手に握ったままの青い石に気付かなかった。
 どうしよう、紗江はドキドキする胸を押さえてうろうろした。
 この石は祖母がとても大事にしている物にちがいない。見つからないうちに返さなくちゃ。紗江はそう思いながらも、手を開いて石を眺めていると引き込まれてしまう。いくら見ても見飽きない。

「紗江ちゃん、今日、おばあちゃんの部屋に入ったかい?」
 夕食の時、祖母が紗江に話しかけた。あんまり急にそう聞かれたので、紗江はうまく返事ができなかった。ポケットに入れたままの青い石の紙包みを押さえて、顔を上げられないでいた。祖母はそんな紗江に花の形のボタンを見せた。
「これが畳の上に落ちていたよ。紗江ちゃんはこれが欲しい?」
 紗江はううん、と首を振った。
 祖母は微笑んで、じゃあ青いボタンをあげようかと言った。
「海と空の色のボタンだよ」
「あれはボタンじゃないでしょ」

                                    二

 祖母はその夜、昔の話をしてくれた。五十年以上も前の話だ。祖母の絹はまだ若い娘で、大きな病院の院長の家で働いていた。奥さんの家事の手伝いだった。
ある日台所から出たごみの始末をしているとき、野菜くずの中に何か光る物を見つけた。
拾い出してみると、それは小さな青い石だった。水で洗い流すと、ますます青く輝いた。
絹はその光に心奪われ、後先のことも考えずにそれをエプロンのポケットに入れてしまった。
 奥様が騒ぎ出したのはその日の夜だった。『大事な指輪がない』と。
絹は自分のエプロンのポケットの物が、その指輪と何かかかわりがあるとはしばらく気付かないでいた。あれは石であって指輪ではなかったからだ。
 その指輪はご主人のお母さんの形見で、とても値打ちのあるものだった。奥様はそんな大事な指輪をはめたまま家事をし、石をなくしてしまったのだろう。ご主人にはとても本当のことを言えない。何と責められるかわからないからだ。院長はとても怒りっぽい人で、何か気にいらないことがあると誰にでもすぐ手を上げた。実際に絹もなぐられかけたことがある。院長が家にいると絹は緊張して、かえって何かしら失敗するのだった。そんな絹を奥様はいつもかばってくれた。
 奥様が石だけでなく指輪がなくなったと言った時、そういうより仕方がなかったろうと絹も思った。でも奥様は続けて、盗られたに違いないと訴えた。外から誰も入った形跡がない以上、盗ったのはこの家の誰かという事になる。
 院長の家には当時お手伝いが二人と、病院の方も手伝っている看護助手の人が一緒に住んでいた。
 絹と一緒に働いていたもう一人のお手伝いの人は、すぐに部屋に行って自分の荷物を取ってくると奥様の前に全部ぶちまけた。
 そしてもうこんな所にいっときだっていられませんと出て行ってしまった。看護助手の人は昼間ほとんど病院の方にいるので、自分は関係ないとそっぽを向いている。絹はただブルブルと震えていた。
 今更、この石を差し出すわけにはいかないと思った。もしそうしたら奥様の立場がなくなるだろう。そう思う傍ら、良い人だと信頼していた奥様が、平気であんな嘘を言った事で裏切られたような切なさもあった。

                                    三

 絹は着物の襟にその石を縫込み、口をつぐんだ。その家で二年働いて、出入りの酒屋に嫁入りした。二十二歳の頃だった。
 そして今までその石の事を誰にも言わずに、その時々に違った場所に隠して持ち続けてきたのだ。
「その石を欲しいかい。本当はおばあちゃんの物じゃないけれど、欲しいなら紗江ちゃんにあげるよ」
 紗江は首を横に振った。祖母がその石をどんな思いで持ち続けていたかと思うと、それを受け取ることはためらわれた。
 祖母は微笑み、紗江の差し出した石をまた針箱の引き出しにおさめた。
 早々と秋の虫が鳴き出した夜のことだった。









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